松本零士原作の「銀河鉄道999」。TVシリーズ、劇場公開「銀河鉄道999」、「さよなら銀河鉄道999」を見ている方ならお分かりと思いますが、登場するヒロインのメーテルには過去に関する謎が多く、これらが放映された時点ではそのほとんどが触れられていませんでした。ヒロイン=謎めいた部分はお約束というか、それ自体もメーテルの魅力のひとつだったと思います。さて、そんなメーテル自身が自らの過去を語ったのがこの「宇宙交響詩メーテル ~銀河鉄道999外伝~」。やっと全巻見終わったので記事にしてみました。
DVD全6巻で、1~5巻までは2話、最終巻の6巻には3話の計13話が収録されています。作品的な位置づけは、星野鉄郎と旅をする「銀河鉄道999」以前のお話で、別作品の「メーテルレジェンド」の後となります。「メーテルレジェンド」は見ていなく内容を少ししか知らないのでなんともいえませんが、とりあえずは感想をひとこと。かなり設定に無理があり過ぎ…という感じです。これは「さよなら銀河鉄道999」でも触れられていましたが、メーテルの生まれ故郷は遊星ラーメタルだったわけで、ラーメタルといえば千年女王の舞台となった惑星。なぜ銀河鉄道999で出てくるのかと、あとからになって疑問に思っていたら実はメーテルの母、プロメシュームがラーメタルの女王だったのです。え? ラーメタルの女王は雪野弥生ではなかったのかと思っていたら、これは「メーテルレジェンド」で明らかになるんですが、メーテル=雪野弥生だそうで。あと、メーテルの姉がなんとあの、エメラルダスだったりと…。
「銀河鉄道999」ファンには楽しめるシリーズだと思います。ただ、わたしのように松本零士のいくつかの原作を見ている人間には違う意味で納得できないものがあります。とくに千年女王に関しては、松本零士の作品の中でもかなりシナリオが好きなほうで、あれはあれで完結させて欲しかったと思っていましたから。文頭でも書きましたが、メーテル本人に関しても、こういう繋がりなら、ミステリアスな部分を残したままのほうがよかったのかなと思います。ああ、自分の中の幼い頃の永遠の美女が…。
Ravioly的独断と偏見の評価
ストーリー ★★☆☆☆ メーテルの過去が明かされていくわけで、今までもやもやは無くなっていくのですが、逆にその結末に幻滅というかなんというか。これがラーメタル関係ではなかったら良かったのにと思えました。
キャラクター ★★★★★ やっぱり松本零士が描くキャラはいいですよね。とくにメーテル。一見冷酷そうだけど暖かい心の持ち主だというのはこの作品でも変わっていません。永遠の美女ですね。
メカニック ★★★★☆ 松本零士のメカは昔から好きなのでこの評価です。ただ、今のアニメを見慣れている方には古臭いイメージがあるかと思います。
総合 ★★★☆☆ 本文でも書きましたが、「銀河鉄道999」が好きな方ならお勧めの作品です。ただし私的にはこの作品はどうも好きになれませんが…。でも、松本零士の作品ということでこの評価点としておきます。
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HNをもたない、通りすがりのものです。『銀河鉄道999』を扱っているサイトを探していたら、こちらにたどり着きました。
過去記事で『宇宙交響詩メーテル』のことを書いておられたので、そちらにコメントを入れようとしたら「記事期限切れ」で撥ねられてしまったので、ここへ投稿させていただきます。長文で申し訳ないのですが・・・
―『宇宙交響詩メーテル』について―
前作『メーテルレジェンド』と併せて、その設定を容認できない作品。特に1000年女王(雪野弥生)が機械女王プロメシュームに変化するというのは、どうしても納得できない。
根本的におかしいのは、『1000年女王』(弥生が生存し、この『宇宙交響詩』においてラーレラとレオパルドが登場していることから、原作漫画版が前提になっていると思われる。映画・TV版では弥生は死亡するので)において同胞・ラーメタル人に刃向かい、滅び行くラーメタル星へ押し返してしまった雪野弥生が、ラーメタルの女王になっているということ。普通考えて、ありえない。
また、この作品ではラーレラとレオパルドがひそかにラーメタル人の箱舟を作っていたようだが、だったらなおさら、弥生が機械化を選択した意味が不明になる。その箱舟によって、ラーメタル人は生身の体のまま生きてゆけるのだから。『1000年女王』同様、またラーレラは弥生を騙していたのか?
ついで、これは『メーテルレジェンド』への批判になるが、弥生はメーテルとエメラルダスに「自分を殺せ」と言って送り出すということになっているが、だったら機械体に変化する前に殺させるか、自殺すれば良いではないか。わざわざ不死身の機械体になってから殺しに来させるというのは理屈に合わないだろう。「母殺し」の苦しみを引っ張らせるだけで、かえってタチが悪い。
最後、ネジのナスカがプロメシューム星を破壊するという終わり方にしたのは何故か?このオチをここでやってしまったら、以後メーテルが999に乗って、機械化星を滅ぼすための少年を連れてくる運び屋になるという『銀河鉄道999』の根本設定が成り立たなくなってしまうではないか。
もうひとつ、メーテルの体は鉄郎の母からつくったものというのが公式設定のはずだが、今回この雪野(雪乃)メーテルの成長したのが池田メーテルだと誰も疑ってないわけで、じゃあ冥王星の下に眠るという「メーテルの元の体」とはいったい何なんだ?ということになってしまう。
・・・通りすがりの分際で、長々と失礼しました。ただ、私が『1000年女王』(特に原作)のファンであるが故に、この『宇宙交響詩』と『レジェンド』によって、雪野弥生→機械女王という設定が公式のものとなるのを看過できずにいる松本作品ファンのひとりというのを、どこかで書いておきたかったのです。何卒、御容赦の程を。
コメント by 通りすがり | 2006 年 7 月 21 日 (金曜日) PM 6:19
通りすがりさん、こんにちは。
“記事期限切れ”とは失礼いたしました。
頂いたコメントですが、該当記事のコメントのほうがいいと思いこちらへと移動させていただきました。
宇宙交響詩~の設定は(笑)。
また、よろしかったらご訪問ください。
コメント by らびおりぃ | 2006 年 7 月 22 日 (土曜日) PM 6:55
「通りすがり」(仮称)です。わざわざ記事を移していただいて、ありがとうございました。
ブログで議論を吹っかけるというのはマナーに反する事かもしれませんが、ネットを見てても『宇宙交響詩』や『レジェンド』には好意的評価が多く(否定的見解は作画や声優のことに向けられていて)、こちらのようなストーリー・設定を否定的にとらえたところになかなか出くわさなかったので(2chは別(笑))「おお同士よ!」とばかりに嬉々として投稿させてもらった次第です。
私が何故こうも、この2作品をボロカスに言う(実はまだ言い足りてない)かというと、やっぱり原作『1000年女王』の影響なんですね。初めて原作『1000年女王』を見たとき、弥生はメーテルとあまりにそっくりでドキッとしましたから、今更「弥生はプロメシューム」と言われても全然納得できないんです。また劇場版『1000年女王』のラストで、永久管理人が言う、
「人の世に生まれ変わりというものがあるなら、あなた(始)とこの女王は、時の流れの接するところで、愛し合う人として、巡り合うことがあるでしょう・・・私はそう、信じています」
というセリフがメーテルと鉄郎の関係を示唆したものとしか思えなくて、原作のラスト(「いつかまた雪野弥生が天から降りて来る」云々)共々、印象的なこの場面。これらをこの2作品で木っ端微塵にぶち壊してくれた訳で、なんか惚れた女に手を出されたとでも言うか、“恨み骨髄”とでも言うか(苦笑)
エメラルダスをメーテルの姉として登場させた意味もイマイチよく判らないんですよね。『レジェンド』で「私達はふたりでひとり」とか意味ありげなセリフを散りばめているけれど、実は別にエメラルダスがいなくても『レジェンド』の話は成立する訳で(実際扱いはぞんざいだし)、どうしても弥生を登場させたいのであれば、あのエメラルダスの位置に弥生を持ってくれば良かったのではないかと(もっとも私は弥生=メーテルだと思ってるので、それでも納得しないけど)。
時系列的には、ここから劇場版『銀河鉄道999』に繋がると言いたいんでしょうけど、ストレートにリンクしないことは見るからに明らかで、「ミッシングリンクを埋める」と言いながら、いったい何をしたかったのか・・・
コメント by 通りすがり | 2006 年 7 月 23 日 (日曜日) PM 11:18
宇宙交響詩のコメント大変為になりました。これを観ても解決しないことが多々あるんですね。レジェンドは見ましたが、これを観ようかまだ迷っています。ところで、昔から一番疑問に感じていることは、メーテル(エメラルダスも含めて)は本当に生身の人間なんでしょうか?銀河鉄道999ではプロメシュームが宇宙一美しいとされる哲郎の母に似せて造った、と言っているので、いつ、美しいメーテルの姿になったんでしょうね?冥王星に昔の体がありますよね。子供の頃からあのメーテルの姿なので、不思議です。また、体を取り替えている、ということは、記憶脳チップみたいなのを新しい体に入れてるのでしょうか?この問題解る方、教えて下さい。それともう一つ、999の初回映画版で哲郎が機械化母星に行くのは表向きのメーテルの目的は星の部品(ねじ)にする為で、裏の目的は機械化母星の破壊ですよね。ということは、それまではメーテルは母プロメシュームに絶対服従で信頼を得ていたんでしょうね。、哲郎以前の子供は母の信頼を得る為に星の部品にする為に拉致(?)してきたんでしょうか?哲郎みたいな勇敢な子に出会うまでチャンスをうかがっていたんでしょうか?これは宇宙交響詩を観れば解決するんでしょうか?
コメント by 衣里 | 2007 年 11 月 1 日 (木曜日) AM 10:37
メーテルレジェンドで、雪野弥生がプロメシュームに変化した時、私を殺してほしいとメーテルとエメラルダスに告げ、二人を送り出します。よって、二人はプロメシュームの敵なんですが、初回劇場版ではプロメシュームに絶対服従のメーテルがいます。(”機械化母星メーテル”と、星の名になる程信頼されている)なのでその物語の間に、何かあった訳で・・・想像ですが、プロメシュームを倒す為には、機械化母星の心臓部を破壊しないといけなく、プロメシュームの信頼を得る者だけが入れる場所で、メーテルは星の部品となる人を拉致し、信用を得、心臓部を破壊するチャンスをうかがっていたのでは?そんなメーテルをエメラルダスは良く思わず二人はライバルなのかな~と勝手に想像していますが、この問題は宇宙交響詩で解決するんでしょうか?期待が膨らみます・・・
コメント by 衣里 | 2007 年 11 月 1 日 (木曜日) PM 5:05
衣里さん、こんにちは。
あまり書くとネタばれになってしまいますのであえて書きませんが、「宇宙交響詩」を見ても解決する部分としない部分がでてくると思います。
逆に「宇宙交響詩」を見て、先のとおりすがりさんのおっしゃっているような余計に疑問を感じる部分がでてくると思います。
でも作品自体は、「メーテルレジェンド」よりもよく作られていると思います(演出とか流れとか)。わたしも後から「メーテルレジェンド」を見たわけですが、あちらはホント、消化不良っぽい作品だと思いました。
「メーテルレジェンド」を見ているのであれば、この「宇宙交響詩」は見て損のない作品かと思います。ただ、その進展や結末をどう捕らえるかはそのひとしだいですが(笑)。
コメント by らびおりぃ | 2007 年 11 月 5 日 (月曜日) PM 6:22